田尾 安志(たお やすし、1954年1月8日 - )
泉尾高等学校−同志社大学−中日(76〜84)−西武(85〜86)−阪神(87〜91)
1985年成績.268 13本塁打 60打点
天才田尾、まさかの不振
中日で4年連続3割を記録していた天才打者。
円月打法と呼ばれた広角に打ち分ける打撃スタイルやスマートなルックスは当時の野球少年女性ファンを魅了し、あのイチローが少年時代憧れた選手でもある。
その一方で「言うべき事をはっきり言う」所謂、硬骨漢であった為に球団から疎まれていた。その影響か85年キャンプ直前に西武へトレードされてしまい、中日には批判の声が相次いだ。
田尾自身は受け止めていたそうだが、西武のキャンプが始まると広岡監督の厳しい管理体制の影響か西武の選手が初日から体が仕上がっているのに戸惑ってしまい、オーバーペースで調整を進めた。
だがこれが失敗で肘を痛める結果となり、内角のボールを満足に打つことが出来なくなってしまう。開幕直後は何とか誤魔化しながらも3割を記録していたが、6月頃からスランプに陥った。
結局3番として主に出場しながらも、物足りない数字となり、翌年も同じような成績で終わる。そして出場機会を求めオフには阪神に移籍。田尾の西武在籍期間は2年と非常に短かった。
[査定について]
先日、1985年の日本シリーズを暇つぶしに見ていたら田尾のバッティングが1番印象に残りました。
なんというかその・・・フォームに無駄がなくて綺麗ですよね。
1 チャンスB
得点圏打率.301
やや甘めに。一応キャリア2位の60打点を記録しているので
2 対左F
対右.290 10本 対左.212 3本
3 アウトコースヒッター
内角が打てなくなってしまったよアピールのつもり
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