堀内 恒夫(ほりうち つねお、1948年1月16日 - )
甲府商業-巨人(66〜83)
1976年成績 14勝6敗 防御率3.96
エースの意地を見せる
V9時代のエースだが300イニングを投げ大車輪の活躍をした72年以降は速球の質が落ちてエースとはやや言い難い成績を残していた(毎年2桁勝利を挙げていたが75年は18敗でリーグ最多敗戦)堀内は技巧派への転身を模索しながら76年シーズンに臨んだ。
だが新任の杉下茂投手コーチと起用法を巡って対立。ご存知の様にお互い気難しい性格の持ち主である。当初は杉下コーチも堀内の希望通りに投げさせていたがその度にKO。ついに堪忍袋の緒が切れ態度を豹変させたのだ。
ある試合で堀内が勝ち投手の権利を得る目前で降板させるという行動に出る。結果的に試合には勝利したがと堀内は「畜生!勝ったからいいようなものの、もし負けてたら今頃ぶっ〇してる!」とかなりヤバい発言を公式会見で息巻くなど、両者の溝は修復不可能に見えた・・
だが後半戦に入ると杉下コーチが「ウチのエースはやっぱり堀内」とPRすると意気に感じたのか8月から6連勝で対立の話もどこ吹く風となる。最終的には14勝。特に終盤戦は投手陣をエースとして牽引する事に成功。その姿は紛れも無くV9のエース、堀内恒夫であった。
[査定について]
1 Hシュート
既に直球の球威はなくなっており三振を取れなくなっていた
代わりに多投する様になったのがこのシュート。本人曰くカーブ以上に三振を取れるとの事
後年、やたらとシュートの重要性を語る事が多いが、それはこの経験からなのだろうか?
2 球速安定
前半戦は技巧派として変化球中心だったが後半戦は「やっぱり俺は速球で抑えないと」と思って速球を中心に投げたらしい
その救済措置というからしさを出すため今回は球速安定を採用
3 ア
仮にも14勝。2年前には19勝も挙げているのに、「お山の大将」「井の中の蛙」などと散々な言われようで流石に可哀想だと思った(KONAMI感)
他の選手などはこちらから↓
リクエストなどはこちらから↓