小林 繁(こばやし しげる、1952年11月14日 - 2010年1月17日)
由良育英高校-全大丸-巨人(73〜78)-阪神(79〜83)
1976年成績 18勝8敗 防御率2.99
巨人のスパイダーマン
178cm63kgとプロとしては超小柄な体格の持ち主だが体全体を使う独特なサイドスローと負けん気で2度の沢村賞に輝いた投手。愛称は「細腕エース」「スパイダーマン」など。
75年まではそこそこの投手という認識をされていたが打者のタイミングを外す絶妙な投球術とフォークを取得し76年は覚醒の年に。
いずれもリーグ2位の18勝、防御率2.99を記録して胴上げ投手に。特にエース堀内が不調だった序盤戦は連戦完投でチームを牽引した。
翌年も同様の成績を残しチームもV2を達成、沢村賞に輝き巨人のエースとして君臨したかのように思われたが・・・
78年オフに江川事件に巻き込まれ巨人から阪神に移籍。会見での立ち振る舞いから「悲劇のヒーロー」として人気を博し以降、阪神のエースとして活躍。
特に79年は巨人戦は無傷の8勝と意地を見せつけ2度目の沢村賞を受賞。その後は83年まで2桁勝利を続けたが体力の限界を感じ同年限りで引退。
70年代後半はそれまでの投高打低から一気に打高投低と変化した時期であったのだがそんな時期に球界屈指の成績を残した小林繁という投手の凄味が「悲劇のヒーロー」というイメージに隠れてしまっている現状は少し残念に思う。
[査定について]
1 球種
74年→軟投派。変化球に自信ある
— トマソン (@giantsnishi) 2020年5月21日
76年→フォークが使えるようになった!
77年→シンカーとスライダーを中心かな(フォークの名を挙げず)僕は器用貧乏です
ネット→79年の小林繁は三振を取るためフォークを多投した
プロ野球データファイル→77年からフォーク
あのさぁ・・・
とまぁ↑以外にも情報が錯綜しており滅茶苦茶悩みました。今までで1番悩んだかも知れない
最終的にスラーブとHシンカーにしましたが以下その理由
スラーブ→あまり曲がらなかったとされるカーブとスライダーの結合的なやつ
生前、「フォーム的に緩いカーブは投げられなかった」と語っていたらしいしOKやろ!
Hシンカー→本人が言うフォーク。ただ小林はマジのサイドスローなので木田とかと違って純粋なフォークを投げれたとは思えないのだ(僕の浅い野球の知識だとね)
斎藤雅樹もフォークの握りでシンカーを投げていると何処かで読んだような気がするしOKやろ!
・・・・OKなのか?
2 他
球種の説明で疲れたから後は簡単に
対ピンチ→多分Bにする程差はないだろうが、優秀なLOB%と被本塁打は全てソロと2ランだけであったからBに。まぁ算出しようと思えば出来たが流石に気力がなかった
リリース→強い球を投げる為に小林はインステップで投げており、コントロールに苦しんだらしい。サイドにお馴染の能力だが今回はあえて付けず
内角攻め→KONAMIは内角のコントロールを良くする能力だけじゃなくてビシビシ投げさせて死球を与えやすくする得能を作ってクレメンス
疲れた。正直2度と作りたくない
田原成貴がマヤノトップガンで天皇賞を制した時に「しばらくトップガンの事は考えたくない」と言った気持ちがわかる
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