八木 裕(やぎ ひろし、1965年6月8日 - )
岡山県立岡山東商業高等学校‐三菱自動車水島‐阪神(87~04)
1992年成績.267 21本塁打 60打点
和製として2年連続20本塁打をマークした八木。92年は外野転向も打撃面で序盤はスランプに陥る。が中盤以降は持ち直し5番打者として3年連続20本塁打を放った。
優勝争い真っ只中の9月11日のヤクルト戦、9回の裏に八木の放った飛球はフェンスに跳ね返ってスタンドに。これをホームランと判定し阪神が勝ったように思えたがヤクルト側の抗議もあり、当時としては異例の判定が覆る事態に。
この試合は引き分けで終わるが、最終的に優勝を逃した阪神からすれば勝利していれば優勝していた可能性が高かった故に幻のサヨナラホームランとも言われ語り継がれる。
[査定について]
・勝負強いイメージがあるがこの年は得点圏で.231、本塁打も1本とパッとしない
・対右.276(344-95)、対左.225(80-13)
・本人は当時から現在にかけ一貫してラッキーゾーン撤去の影響が大きかったと主張しているシーズン。敵地では15本打ったが、甲子園では6本しか打てなかった
八木っぽい成績で良き
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