岸川 勝也(きしかわ かつや、1965年4月24日 - )
佐賀北高校-南海・ダイエー(84〜94)-巨人(94〜97)-横浜(98)
1989年成績.260 26本塁打 66打点
ダイエーの長距離砲
丸太のように太い二の腕で描く放物線はまさに芸術で、南海時代に門田2世と呼ばれたのも頷けるだろう。
南海最終年に7本塁打を放つとダイエー初年度に26本。そこから3年連続20本塁打を記録し主軸として活躍した。特筆すべきは勝負強さでシーズン3本のサヨナラ本塁打を始めとして、終盤に値千金の一打を放つ事も多かった。しかし変化球には滅法弱く追い込まれると・・・
91年はハイペースで本塁打を量産するが左膝半月板を故障。これが影響して飛距離が出なくなり以降は控えに回る機会が増えた。
94年に巨人に移籍、勝負所の代打として長島監督に重宝され2度の優勝に貢献。最後は横浜でプレーしている。
[査定について]
・得点圏打率.210だが勝負強さが魅力な選手だった事や、後述の三振との兼ね合いでEにした
・対右.263(262-69)17本 対左.254(138-35)9本
・左24 中1 右1
・内野安打12本・・・だが特能がやや多い+岸川らしくない(?)と言う事で不採用
・三振・・・翌年だが2ストライク時.136(228-31)と悲惨な数字が。元から変化球が大の苦手。らしさを出す為にも三振は必須かなと思います
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