中村 稔(なかむら みのる、1938年9月28日 - 2021年6月2日)
宇治山田商-巨人(57〜69)
1965年成績 20勝4敗 防御率2.21
V9や藤田巨人を支えた功労者
チェンジアップを日本に持ち込んだ投手とも言われる右腕。現役時代はエース級として、引退後は投手コーチとして巨人に大きな貢献をもたらした。
57年に入団して4年間は全く芽が出なかった。ただ、当時は高卒でも1.2年でもクビになる時代だったのでポテンシャルを評価されていたのは間違いない。
61年のベロビーチキャンプでドジャースのエース、ドン・ドライスデールにチェンジアップを直接指導された事がきっかけで飛躍。ベロビーチキャンプは巨人の野球を大きく変えたが中村の人生も大きく変えることになった。
シーズンに入ると一気にチームの勝頭となって17勝。エースの堀本は衰えが顕著だった事もあり日本シリーズでは第一戦の先発も努めた。
その後は二桁勝利から遠のいたが65年に復活して20勝。無四球完封5はリーグトップタイの成績だった。
引退後は投手コーチとして藤田巨人を支える。1次政権の江川・西本・定岡、2次政権の斎藤・桑田・槙原と2つの3本柱を作り上げた。
[査定について]
・140kmも出てないとされるが盛りました
・対右.238(542-129) 対左.224(196-44)とほぼ誤差の範囲内だがチェンジアップの威力を高める為Cに。
・ちなみに対左に弱いとされた城之内が対右.221 対左.258とこれもそこまで差はない
・中村曰くチェンジアップは直球と錯覚させる球種との事。直球が走ってナンボらしい
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