小川 浩一(おがわ こういち、1965年5月10日 - )
佐賀学園−日本鋼管福山−日本ハム(88〜98)−ダイエー(99)
1993年成績.202 3本塁打 19打点
打撃職人
あの時代のファイターズには職人と呼ばれた選手が2人いた。1人は守備の職人、嶋田信敏。もう1人は打撃の職人、小川浩一。
小川の持ち味は応援歌にもあるように右に左に打ち分ける広角打法。時折みせるインコース打ちは篠塚を彷彿とさせた。
即戦力として1年目から活躍し3年目を終えた時点で通算打率は.280。今後の飛躍が更に期待されたが91年以降は打率が急降下。91年の成績だけで推測すると大きいのを狙いすぎてフォームを崩してしまったのだろうか?
守備が課題の選手とされていたが、年々守備要因としての出場が多くなってしまい本領を発揮する事は出来なかった。
[査定について]
・能力
→「93年の日ハム作るなら小川を大成させたいな〜」ってずっと考えていたので強めに査定しています。まぁ三振と低い守備能力がかなりのネックなのでいいでしょ(適当)
・マルチ弾
→神戸でマルチホームランを記録。同年のハムでマルチ本塁打を記録したのは外国人を除けば田中幸雄と小川のみ
他の選手などはこちらから↓
リクエストなどはこちらから↓
ようつべ↓