小川 博(おがわ ひろし、 1962年4月2日 - )
前橋工−青学−ロッテ(85〜92)
甘いマスクと豪腕っぷりから「群玉(群馬の玉三郎)」と呼ばれ、甲子園のアイドルでもあったスター選手。青学を経てロッテに入団。
サイドハンドからノビのある速球を投げ込んでいたが、上半身に頼ったフォーム故に制球に難があって中々1軍に定着出来ず。ポテンシャルは高く評価されていたが、コーチ・評論家からはフォームの修正を口酸っぱく言われていたという。
だがフォームを修正する事はなく88年に大ブレイクを果たしてしまった。それは速球の軌道でベース直前で急激に落ちる魔球高速シンカーを習得したからである。
元来の持ち球であるストレートとカーブに加えこの高速シンカーを決め球として身に付けた事で奪三振数が大幅に向上。終わってみれば右投手ではパ・リーグ史上初となる奪三振数>投球回(規定投球回以上に限定)を記録。NPBで初めてドクターKと呼ばれた選手にもなった。
だがフォームを修正しなかったツケはすぐに回ってきた。上半身に頼った投げ方では、早々に肩が悲鳴を上げるのは当然で89年には右肩を負傷。90年を最後に1軍から遠ざかり92年限りで引退。輝きを取り戻す事は出来なかった。
素直にフォームを修正してれば...あんなことも起きなかったかもしれない。
[査定について]
データ的に査定について特別書くことはない...です
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