ロビンソン・ペレス・チェコ(Robinson Pérez Checo, 1971年9月9日 - )
1995年成績 15勝8敗 防御率2.74
ドミニカハリケーン
3桁の背番号106で有名なドミニカハリケーン。
カープアカデミーの第1弾として92年から2年間在籍も1軍登板は無く退団したが、CPBLでの活躍が認められ1年で古巣に復帰した。
150kmを超える直球と鋭く落ちるスライダーを軸にしたパワーピッチングが持ち味で、闘争心全開で打者に立ち向かっていった。初登板を完封で飾るとシーズン前半戦で10勝を記録し、オールスターでは先発登板を果たす。
しかし後半戦は480万円という超格安な年俸もあってかボーナスを要求。フロントは突っぱね続けた事もあり両者の溝はどんどん深まっていく。
最終的には15勝を挙げたが、オフにはMLB挑戦のために契約解除を広島に通告。訴訟にまで発展し、ダン野村が代理人となって週刊誌上で告発するなど揉めに揉めた。
結局1年契約で合意したが、当然モチベーションを失っており後半戦大失速の要因となってしまった。その後は退団して夢であったMLBの舞台に立つも結果は残せなかった。
ちなみに、グラブの中でボールを握った時の腕の角度で球種を見分けることができるクセが他球団にバレバレであったという。当時の広島は細かい分析をするチームでは無いこともあって最後まで修整される事はなかったとか。
[査定について]
有名な選手ですが、活躍期間が短かった事もありデータは中々見当たらず。苦労しましたけど、なんとか形にはなったので作成しました。力作です
・対ピンチB
被打率.205 得点圏.156
→Bにするかは微妙ですけど、満塁機11-0に惹かれて
・対左C
対右.224(433-97) 19被弾
対左.175(263-46) 6被弾
→Bでもいいけど、B3つは強すぎるかなと
→ちなみに自力計算です(ドヤァ)
・軽い球
→「市民球場でこの成績は凄い!」ってのをたまに見ますが、市民球場では4勝3敗 防御率4.47 被本塁打11とかなり打たれています
→逆に東京ドーム(当時は広かった)、甲子園で計5勝。ドーム防御率1.75 甲子園1.20と完璧に近い数字で球場の広さで成績が左右される投手と見て良いと思います。
→まぁ狭い球場が得意な投手なんてそういないでしょうが。もしかしたらマウンド的なアレもあったのかも知れませんけどパワプロでは再現出来ませんね
→ちなみに自力計算です(ドヤヤァ)
・フライボール
まぁ速球と落ちる球がメインなんでね(ドヤヤヤァ)
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