衆樹 資宏(もろき すけひろ、1934年4月19日 - 1999年6月25日)
湘南高−慶應−毎日・大毎(57〜59)−阪急(60〜66)−南海(67)
1960年成績.288 6本塁打 54打点
六大学初代三冠王
1955年には六大学の初代三冠王に輝き、鳴り物入りで毎日へ入団。
最初から一定の数字を残した衆樹だが、その一方で度々不祥事を起こし徐々に成績が低迷していった。本人曰く「スターを気取って自分を見失っていた」とのこと。
60年、球団の親心もあって阪急へ移籍。心機一転練習に取り組んだ結果、阪急打線の主軸に成長。60年はリーグ8位の高打率を記録する飛躍の1年となった。
右に左に打ち分ける打撃が最大の武器であった衆樹だが、脚力を活かした守備の評価も高く万能な選手だったようである。64年まではレギュラーを守り67年に南海で引退した。
なお、62年にはプロ野球史上初の開幕戦初球先頭打者本塁打を記録している。これは同じく慶應の三冠王であった高橋由伸が07年に記録するまで唯一の記録であった。
[査定について]
・対左C
→対右.282(344-97)5本 対左.314 (80-25)1本
・流し打ち
→「これだけ左右に打てる選手は張本と衆樹だけだ!」なんて言われてたとか言われてなかったとか
・守備
→この年は1試合だけ1塁守ってますが、まぁ無視で
→脚力を活かした守備は売りで、荒川博や中田昌宏などの同僚からも評価されていた。その上手さ故に、素行不良というダーティなイメージからかエラーすると週刊誌には「八百長か?」などと書かれたことも
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