小野 正一(おの しょういち、1933年9月30日 - 2003年3月19日)
磐城高−常磐炭鉱−毎日・大映(56〜64)−大洋(65〜67)−中日(68〜70)
1960年成績 33勝11敗 防御率1.98
伝説の長身左腕
長身からの速球とカーブを武器に通算184勝を記録した大投手。
400勝金田正一とは名前も身長も球種構成もほぼ一緒。コントロールという点では金田に軍配が上がったが、小野は荒れ球を武器としていた。
大毎のエースとして活躍し60年はリリーフだけで21勝、トータルで33勝を挙げ優勝に大きく貢献。前者はNPB記録、後者は左腕のNPB記録として今後破られる可能性は極めて低いだろう。
この年は最多勝、最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得しているが、この活躍は当時交際していた大映女優との結婚を永田総裁夫妻に認めてもらうというモチベがあって生まれたとか。同年オフには晴れて入籍している。
62年以降は酷使が祟って成績は下降するが70年まで一線級の力を残していた。しかし黒い霧に巻き込まれた事で球界に嫌気が差したとされ、引退。球界との関係も断ってしまった。
[査定について]
通算184勝の大投手ながら、引退の経緯が複雑なためか小野についての情報・資料が非常に少ない。なので、当時の週刊ベースボールをかなり参考にしています
・パワーカーブ
→「小野のカーブは速い分、曲がりが少ない。権堂などのカーブとは違う」と大洋の名捕手土井淳が残しており、個人的にはそれが面白かったので今回は採用。ドロップばっかりだとつまらないしね
・超スローボール
→この頃から投げ始めていたそう。打ち気にはやる打者が多い西鉄相手には特に有効だったそう
→ちなみにこの手のスローボール全般を当時はチェンジアップと呼んでおり、我々に馴染みのあるチェンジアップとは別物なんですな
・対左B
→手元にある資料に限定されるが、
被打率.156(77-12)と圧巻。ただ今以上に左vs左はアレな時代だったので甘めに
→パの左打者は軒並み封じられたが、ただ1人打率.389(18-7)と奮闘した男がいた。その名は張本勲、弱冠二十歳の若者である
そりゃ3000本打ちますわ
・真っスラ
→握りで使い分けていたそうだが、スライドする速球だったという。現代で例えるなら速球派投手が時たま投じるツーシームみたいな感じか
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