近藤 真市(こんどう しんいち、本名:近藤 真一(読み同じ)、1968年9月8日 - )
享栄高−中日(87〜94)
1988年成績 4勝5敗 防御率4.45
初登板ノーノー男
高校時代はその実力と高校生離れした堂々としたマウンド捌きから、10年に1人の逸材として5球団から指名された左腕。意中の球団でもあった中日がクジを引き当て鳴り物入りで入団。
春先は体力作りに専念したが、2軍で実戦を重ね後半戦になると1軍に呼ばれる。暫くは出番が無かったが、投手が枯渇していた事もあり3.5差で追う首位巨人との大事な1戦で初登板を迎えることになる。
当時の巨人打線は"初物"と"左投手"に弱いというのが定説となっており、近藤はうってつけの存在でもあった。1001がそこまで考えていたかはwikiを見る限り不明だが。
さてここからは皆さんご存知の通り、駒田くんを三球三振で打ち取る素晴らしいスタートを切ると三振を積み重ね終わってみれば、プロ野球史上初の快挙となる初登板ノーヒットノーランを達成した。18歳での達成という最年少記録のオマケもついた。
この快投で一躍スターの仲間入りを果たしたが翌年の夏以降は怪我に悩まされ...
査定について
・球種
→カーブは縦に横、更に速いカーブ、遅いカーブと投げ分けていた。つまり計4種類のカーブを投げていたことになる
→フォークは高校時代には投げていたが、プロではノーノーの試合まで投げていなかった。試合前の簡単なミーティングの際、チェンジアップ感覚で使うことを決めたという
他の選手などはこちらから↓
リクエストなどはこちらから↓
ようつべ↓
野球オタク、オススメの商品一覧
ブログの励みなるので良かったら買ってみてね♥
↑ランキング参加中です。押したらきっと幸せになれますよ😀