ジェームス・エドウィン・トレーシー(James Edwin "Jim" Tracy、1955年12月31日 - )
カブス‐大洋(83~84)
年度 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | OPS |
---|---|---|---|---|---|
1983 | .303 | 19 | 66 | 3 | .845 |
超真面目外国人
極端なオープンスタンスからシュアな打撃で安打を量産し1年目からほぼ3割20本の成績。当時の大洋には打てる選手が多かったこともあって数字の割に影が薄いと言われもしたが。
牛込スカウト好みの真面目助っ人...どころではない超真面目助っ人な一方で神経質な選手でもあった。これが2年目の開幕直後の退団に繋がってしまう。
全試合フル出場に拘っていたトレーシーだが、膝を痛めておりそれを考慮した監督が代走を出すと激昂、なんと退団を申し入れてしまった。うーん、ね。
引退後はドジャースやロッキーズの監督を務め地区優勝を経験している。
査定について
・査定コンセプト
影の薄い好打者です。特能を最低限にして基礎能力を高めに
・チャンスF
得点圏.264
決して低い訳ではないが、勝負弱くて数字の割に影が薄いと言われた遠因
・対左F
対右.317(338‐107)14本 対左.267(131‐35)5本
時代を考えればかなり善戦している。外人キラーの角に7−0は仕方ないにせよ、計16‐1と読売左腕に封じ込められたのが痛い
・固め打ち
とにかく波が激しい。1試合4安打を3回も含む猛打賞17回は首位打者の真弓に次ぐ数字。しかし無安打の試合も42試合あり、これが真弓との打率差に繋がった。
ただこの時代の大洋あるあるで、トレーシー以外も淡白な時はとことん淡白...今の横浜もこんな感じだし伝統かもしれんね
ミカルゲさんがオスナ!オスナ!オスナ!オスナ!って言ってたから...