小川 博(おがわ ひろし、 1962年4月2日 - )
前橋工−青学−ロッテ(85~92)
年度 | 登板 | 勝 | 敗 | 防御率 | HP | S | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1988 | 31 | 10 | 9 | 3.40 | ーー | 0 | 1.15 |
甘いマスクと豪腕っぷりから「群玉(群馬の玉三郎)」と呼ばれ高校時代からスター選手であった。
プロ入り後はやや伸び悩むも、ベース直前で消える高速シンカーを習得した88年に大ブレイク。
二桁奪三振を実に7度も記録し、右投手ではパ・リーグ史上初となる奪三振数>投球回(規定投球回以上に限定)を達成。NPBで初めてドクターKと呼ばれた選手となった。
だがプロ入り当初からの課題だった上半身に頼った投げ方そのままにブレイクしてしまったのは誤算。肩が悲鳴を上げるのは必然で翌年以降はそれに悩まされ続けた。90年を最後に1軍から遠ざかる。
結局消えるシンカーは蘇らず、やがて球界と社会から消えた。
パワナンバー 11700 80333 51530
査定について
・査定コンセプト
前作からそこまで変えていない。
カーブはしょんべん気味なのも投げているが、この形が気に入ってるので
・対左
対右.200(419‐84)11本
対左.195(307‐60)10本
サイドながら対左へのこの数字。やはりシンカーは絶大な威力だったのだろう
・全開
数多のエピソードからつけた。"1年で燃え尽きた"という意味合いも