関 清和(せき きよかず、1964年9月26日 - )
鉾田第一高‐専修大‐ロッテ(87~96)
年度 | 登板 | 勝 | 敗 | 防御率 | HP | S | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1988 | 25 | 3 | 4 | 3.97 | -- | 0 | 1.53 |
東都の奪三振マシーン
阿波野、西崎との三羽烏...になるはずだった豪腕。
専修大のエースとして当時東都歴代2位のシーズン81奪三振を記録。この手の選手が好きだった当時のロッテから単独で1位指名を受ける。
140km台後半の速球とスライダーにSFF系のフォークが持ち味。ただかなりの暴れ馬であり、やや手投げな側面もあって評価は当初から二分されていた。
結果的には怪我もあって大成は出来ず。10.19でロッテ側の最後の投手として登板したのが最初で最後の大舞台となった。
しっかし小池は別格として、小川や園川、関に伊良部など奪三振能力に長けたハイポテンシャルな選手を上位で指名し続けたこの頃のロッテ好き。
パワナンバー 11600 40346 40351
査定について
・球速
大学時代は146km、1年目は147km,2年目は149kmと順調に伸びていたが...
・Hスラ SFF
Hスラは横滑りと評され、パワプロのような変化をする関の決め球
ただ当時流行りのSFFも抜群で生来の荒れ球も相まって被弾数の少なさに繋がったか
・対ピンチB
実際の数字は不明だが、与四球率6.90のWHIP1.53でこの防御率は中々
というか被安打と与四球が同じ59なのヤヴァイ
・対左E
対右.191(183-35)2本
対左.250(96-24)3本
対左というよりかは対右が優秀すぎる