
荒川 尭(あらかわ たかし、1947年5月3日 - )
不世出の一本足
王貞治を育て上げた荒川博の養子であり、"一本足の長嶋2世"として早大時代は谷沢健一と共に絶大な人気を誇った。
ドラフト指名された大洋への入団を拒否し野球留学を決意、その直後暴漢に襲われ大怪我を負いキャリアが大きく狂ってしまう。
アメリカからの帰国後にトレード前提の大洋入りを経てヤクルトに入団を果たす。
早大時代同様に絶大な人気を誇るも事実上1年のブランクや襲撃事件の後遺症に悩まされ実力を発揮できたのは一本足をやめて二本足にした72年の中盤以降だけ。
73年に入ると後遺症で球が見えなくなり左打者に転向したが28歳の若さで引退することとなった...



査定について
・コンセプト
→「ONではなく荒川尭という新たな選手像を作る」
→という本人の宣言を尊重し色んな育て方がありそうな査定を。特能も少なくプルヒ三振のみ
・打法
→72年の活躍は一本足をやめたことにあるのですが...
・肩力
→元遊撃手で身体能力も高いが父博の評価は低め。同時期に益川満育という遊撃手がいたが彼に比べるとかなり劣ったそう
・守備
→芸術的な打撃に対して守備はぎこちないというのが当時の空気感
・対左
対右.278(198-55)12本
対左.290(100-29)6本
→基本的には左腕は得意であるものの、江夏と高橋一三という当時の二大左腕は苦戦し続けた
・ア
→近年の動向はあまりよく分かっていないという感じだが、実はYouTubeチャンネルがある
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