秋山 幸二(あきやま こうじ、1962年4月6日 - )
八代高校-西武(81〜93)-ダイエー(94〜02)
1985年成績.252 40本塁打 93打点
いきなり40本
84年まで通算4本塁打と素質がありながらも1軍ではあまり結果を残せていなかったが、長池コーチの指導で才能開花。
85年に6番3塁手でレギュラー定着を果たすと荒削りではあるが、いきなり40本を放ちチームの独走優勝に貢献。以後、球界を代表する外野手としてダイエーに移籍するまでチームの顔で在り続けた。
さて、西武黄金時代を支えたスーパー外野手の秋山だが広岡時代と86年は主に3塁を守っており、外野には守備固めで入る程度だった。
秋山の3塁守備は範囲こそ狭くないが、送球難に悩まされたようだ。
[査定について]
1 対左F
対右.265(351-93)31本
対左.214(117-25)9本
2 パワヒのみ
左25 中10 右5
パワヒだけでいいかな
3 その他データ
「多分どこかにあるでしょう。だがその他一切の事はわかりません!」
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