阪急
勇者最終年のSFFルーキー
中田 昌宏(なかた よしひろ、1935年2月22日 - 2009年11月16日) 鳴尾高−慶應−阪急(57〜68) 1961年成績.238 29本塁打 74打点 61年本塁打王 阪急の看板選手として長年活躍した強打の外野手。昌宏と書いて"よしひろ"と読む。 当時の阪急は"灰色の阪急"と揶揄…
嶋尾 康史(しまお やすひと、1968年5月6日 - ) 東洋大姫路-阪神(87〜96) 1992年成績 1勝2敗1S 防御率2.39 開花の兆しを見せたが・・ 東洋大姫路ではエースではなく控え投手という立ち位置であったが、エースが長谷川滋利であったことや、長身で球威もあ…
山沖 之彦(やまおき ゆきひこ、1956年7月29日ー ) 高知県立中村高等学校ー専修大学ー82阪急ー95阪神ー95引退 独特のフォームと巨体で人気を博した(?)好投手 80年代半ばから山田が衰え始めるとエースとして君臨 なお、本人曰わく「一年やると一年間は疲れ…
史上唯一の両リーグ盗塁王に輝いた男。バルボンとコンビを組んでいた 低迷する阪急の中で明るい存在だったという 56年は85盗塁を記録した一方で、歴代ワースト29盗塁死も記録した 1956年成績 打率.270 5本塁打 70打点 85盗塁 29盗塁死 [査定について] パワー…
キューバ出身の関西人助っ人 55年に騙される形で阪急に入団。シュアなバッティングと俊足を披露し長い間一番を打った 通算3度の盗塁王を獲得しているが、バルボンを最後に助っ人盗塁王は誕生していない(ちなみにもう一人はレインズ) その後はコーチや通訳…
仕事をそつなくこなすバランス型外野手 84年には二桁本塁打を放つなど下位打線にいながらも打力はあった 現在は横浜のスカウト
天下一品と呼ばれた内角打ちを持つ和製大砲 入団当初は捕手であったが打撃力を生かす為に外野手転向 そのリストの強さを生かした技術でホームランを量産した 1990年成績 .273 37本塁打106打点 [査定について] 1 チャンスB 勝負強さ 2 パワヒ、インコース そ…
史上最高のスイッチヒッターと称される男 タイトル獲得こそ少ないものの、長きに渡ってチームの主軸を担った 93年に阪神に移籍し背番号02をつけるも… まあみなさん僕より詳しいと思うので割愛します 阪神を1年で退団した後、ダイエーに渡って最後はメジャー…
広島でクリーンナップを打っていた水谷。だが82年オフに加藤とトレードで阪急に 発奮した水谷は翌年移籍初年度から大暴れし、打点王に輝いた だが翌年。開幕戦で頭部に死球を受けて戦線離脱 結果、この後遺症が尾を引き、頭痛や吐き気などが収まらなくなった…
若い頃は速球派、故障後は技巧派と異なるスタイルでも活躍した右腕 速球派として2年目の68年にローテに加わり15勝。翌年は11勝を記録 が、その後は肩の故障や交通事故などもあり3年間で1勝に留まる だが73年に復活し13勝を記録。技巧派に見事に転身したので…
80年代の阪急を支えたハイブレーヤー バント、盗塁、打撃全てをそつなくこなすその姿はチームに最も必要なタイプの選手であった 1984年成績 .304 6本塁打45打点 この年は主に2番や3番を打ちリーグ優勝に貢献しました [査定について] 1 バント職人 シーズン最…
70年代の阪急を支えたユーティリティプレイヤー 主に加藤や森本の守備固めとして出場したり大橋の代わりに遊撃手としても出場した 1976年 打率.265 1本塁打6打点 [査定について] 資料も糞もないのでwikiのデータから査定 ミートはもう少しあげてもよかったか…
黒いハヤブサと称された助っ人。53年に来日した 走・攻・守の三拍子が揃っており、一年目は盗塁王。二年目は首位打者に輝いた シーズン16三塁打という記録は未だに破られない記録である その後メジャー挑戦の為に退団するがパッとせず62年に再入団 しかしで…
抑えた後の独特のパフォーマンスで人気を博した速球派助っ人 マウンド上で奇声を上げたり捕手をボコボコにするスキンシップなどが注目をあびた 翌年は不調で自由契約になるがその後日本の芸能界でも活躍した 2013年死去。ご冥福をお祈り致します 1986年成績 …
阪急冬の時代、そして西本時代と長きに渡って阪急ローテの一角を担った投手 技巧派として活躍し、64年には28勝を記録もタイトルは67年の最高勝率のみ その後は太平洋、巨人と渡った後、引退後はスナックを経営したそうな 通算189勝185敗防御率3.46 2005年逝…
阪急黄金時代を支えた名ハイブレーヤー レギュラー遊撃手の大橋は打撃にムラがあったので不調時は大橋の代わりにスタメンを務めていた 代打、代走、守備固め。どれも万能にこなせる選手だったが、特に特筆すべきは盗塁成功率で、通算8割超である。 1978年成…
中沢、河村に次ぐ3番手捕手 足が速いという点を覗いて捕手として特別優れたものがなかったせいかチャンスはあまりなかった 現在は不明 1977年成績 .209 3打点 [査定について] 情報がねぇ!!!!!! かろうじてわかったことは足がそれなりに早かったってこ…
阪急黄金時代の2番手捕手 守備面では中沢には及ばなかったが打撃はとてもいいものを持っていた リードを投手陣に酷評されることも多かったようで、基本代打。たまにスタメンとゆうことをやっていたそうだ 代打の切り札だった高井がスタメン定着後は代打の切…
全盛期はこちらです↓ gfan.hatenadiary.jp 1975年指名打者制度が採用され初代指名打者ベストナインに輝くも以後急激に失速 本人曰わく、守備につかなくなって野球のやる気がなくなったとのことです 1975年成績 .270 25本塁打 58打点 [査定について] 基本的に…
リクエスト案件です 外国人初の三冠王 阪急の怪人。その名をブーマー・ウェルズ 1983年来日しまずまずの成績を残し、日本野球に慣れた二年目に三冠王を獲得 それ以降もオリックスやダイエーなどで活躍した 一塁守備も意外と上手でした 1984年成績 .355 37本…
大舞台に滅法強かったもう一人のアンダースロー というか山田が若い頃は足立の方が遥かに安定感があった 怪我をする前までは140後半だったというが怪我をきっかけに技巧派に転向 シンカーを中心に投げるスタイルとなった 日本シリーズでは巨人を苦しめ阪急3…
阪急黄金時代の大エース 変わったアンダースローのフォームからサブマリンとも称された 若い頃はストレートのみ。中堅になるとシンカーを投げ始め、晩年はスライダーを投げるなど、年々進化する投手でもあった 日本シリーズなど大舞台ではあまり強くないとい…
通算代打本塁打27本を記録した世界の代打男 当時、指名打者制度がなかったため、守備が下手すぎたため、西本監督時代はほとんど2軍暮らしだったが、上田監督になると1軍で使われるようになり、前述の通り代打で大活躍する 75年から指名打者制度が採用され、…
阪急黄金時代の正捕手 弱肩をインサイドワークなど技術でカバーし、チームから全幅の信頼を得ていた まあキャリアハイは82年なんですけどあれは中沢ではない中沢なので作成しません 地味にリクエストだったりする… リクエスト、ありがとうございましたm(__)m…
通算1065個の盗塁数を誇る世界の盗塁王 後にリッキー・ヘンダーソンに抜かれたが現在でもNPB記録 恐らくNPBでは今後破られることはないであろう不滅の大記録だ 足だけが素晴らしい訳ではなく、通算打率.291 2543安打、208本塁打と打撃でもレジェンド級の実績…
渋さが光った阪急黄金時代の2番 福本の盗塁を様々な形でサポートした 例えばスタートが悪かったらわざと空振りしたりファールしたりなどなど… そのため福本からも絶大なる信頼を得た。お互いを非常に信じ合っていたという 外野守備も上手く、福本やウィリア…
阪急黄金時代を支えた守備の名手 遊撃手として7年連続ダイヤモンドグラブ賞を獲得 打撃面では打率こそ低かったものの、長打力は備えていた 1973年成績 .214 17本塁打47打点 [査定について] 1 エラー 毎年失策を20以上記録している 2 送球E 守備は半端ないと…
阪急黄金時代の三塁手 77年に中日から移籍。中日時代からすでに主力だったが、そこでは更に打ちまくり77年.325 78年102打点と共にリーグ2位の好成績を残す 82年松永浩美にレギュラーを奪われるような形となり引退 現在は明徳義塾高校でコーチを勤めている 19…
福本や大熊らとの鉄壁な外野陣の一角を担った強肩強打の助っ人 メジャーとマイナーを往き来していたウィリアムスは75年に入団 打撃は平凡だったがとにかく肩がもの凄く強くチームの黄金期に大きく貢献した 80年に退団。その背番号1は彼同様強肩の蓑田が受け…