皆川 睦雄(みながわ むつお、1935年7月3日 - 2005年2月6日)
山形県立米沢西高等学校ー南海(54~71)
史上最高の二番手投手
宅和、杉浦、スタンカらの陰に隠れながら長く南海の二番手投手を勤めた。
毎年成績は安定していたものの球種がシンカーしかなく、アンダースローということもあり榎本やハリーら左の強打者相手の攻めには限界があった。
そのため相棒のノムさんと二人三脚で「世界初のカットボール」を開発。
その結果、左打者の内角を攻めることが出来るようになり、68年の31勝に繋がった。この年の31勝はNPB史上最後の30勝となっている。
晩年はコーチなどを勤めた。
05年死去。温厚な性格から多くの人に愛された人生だったという。
死後の11年に野球殿堂入りを果たした。
1968年成績 31勝10敗防御率1.61
[査定について]
1 対ピンチB
LOB=83%
2 打たれ強さB
27完投
3 回復A 怪我しにくさB
察して。 でも翌年以降は反動であれだったんだよね…
4 ポーカーフェイス
温厚な性格だということから。まあいいかなと…
5 リリース
シンカー2球種の意味もあるしシュート代わりの意味も
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