嶋尾 康史(しまお やすひと、1968年5月6日 - )
1992年成績 1勝2敗1S 防御率2.39
開花の兆しを見せたが・・
東洋大姫路ではエースではなく控え投手という立ち位置であったが、エースが長谷川滋利であったことや、長身で球威もあった事から素質を高く評価されドラフト2位で阪神へ。当初の背番号は52だったが、直ぐに大エース小山が付けた背番号47に変更された事からも期待の高さが見て取れる。
入団数年は1.2軍を行き来していたが92年、ようやく1軍に定着。ビハインドのリリーフが主だったが谷間で先発した巨人戦で好投したり接戦で強さをみせるなど防御率2.39と好成績を残した。
ようやく結果を残し誰もが来年以降に期待を持ったがこの年終盤に肘を痛め翌年は登板0。阪神淡路大震災での怪我やTJ手術を受けるなど不運も重なりこの年以降1度も1軍登板が無かった。引退後は俳優としてそれなりに大成した様だ。
ちなみに阪神が野田を放出したのは嶋尾に一本立ちの気配が見られたからだとか。
[査定について]
・映像から見て恐らく縦スラ。フォークも投げてたかもしれないが
・対右.308 対左.190 ※対投手抜き
・腕のしなりが良い印象を受けたのでリリース。球持ちよりこちらを採用したかった。まぁでも肘に負担がかかるフォームだよね
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