村田 修一(むらた しゅういち、1980年12月28日 - )
東福岡高-日大‐横浜(03~11)‐巨人(12~17)‐栃木(18)
2008年成績.323 46本塁打 114打点
男・村田修一
自分に対する巨人の姿勢は、最後まで「指名するから入団してくれ」でした。これでは納得できません。
しかも、初めは自分と早稲田の和田を獲りにいく、みたいな感じで新聞に発表していた。ところが、和田がダイエーに内定すると、東海大の久保、亜細亜の木佐貫の名前を出してきた。久保は自分と同じ福岡生まれ。
負けちゃいられないし、首都大学リーグ戦なら自分が投げても抑えられると思っていますから。それに巨人は、最後は東北高の高井雄平、高校生の名前まで出してきた。じゃあ、自分は何番目の選手なんだ?
そう考えるのは当然です。あくまでも自分は1番にこだわりたい。子供の頃から自分は、お山の大将でいたいと思っていました。
そんな自分を理解してくれたのが横浜です。だから、自分は横浜に自由獲得枠の1番で入団することに決めたんです。
横浜入団を決める際、日大野球部監督の鈴木博識は、村田に「お金にこだわることも決して悪いことではないぞ」といった。しかし、村田は、鈴木にも私にもはっきりといった。
「監督さん、それに、岡さん。自分はお金で動くようなヤワな男ではないです。お金は入団後に活躍して稼ぎます。だいたい自分は巨人が嫌いです」
[査定について]
今回は横浜時代のイメージだけで査定。送球怪我がDだったりサヨナラ男が無いのはそーゆー理由です
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