田村 勤(たむら つとむ、1965年8月18日 - )
静岡県立島田高等学校‐駒澤大学‐本田技研‐阪神 (1991~2000)‐オリックス(2001~2002)
1992年成績 5勝1敗14S 防御率1.10
伝説のサイドストッパー
地味なところついてくるなぁ…笑
— G党ペッペ@パワプロ村筆者 (@giantsfanPeppe) 2019年2月28日
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ゴメン、地味じゃなかった。。
サイドながら狙って三振を取れる最速146㎞の直球を武器にしたストッパー。1年目から50試合に登板すると翌年は前半だけで14S、防御率1.10と大活躍するも肩が裂けるような痛みを伴うことになり抹消。以後、怪我との戦いが始まった。翌年は22Sを記録も95年登板無し。96年、97年と2年間で90試合に登板し復活するも、98年にはまたしても肩の故障で二軍登板すらできなかった。99年にはノムさんに遠山奬志と共に対松井、高橋由伸などの左打者のワンポイントとして起用されるも、既に以前の球威はなく、終始、気迫と投球術でカバーする投球だった。00年オフに自由契約。その後オリックスに移籍。も活躍はできず、02年の最終戦となった10月14日の日本ハム戦をもって引退。この試合でプロでは最初で最後となる先発マウンドに立ち、先頭打者の森本を三振に取って降板した。 現在は接骨院を経営しているようだ。
[査定について]
1 奪三振
41イニングで53奪三振
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