山内 嘉弘(やまうち よしひろ、1966年2月15日 - )
茨城東高‐近大‐阪急・オリックス(88~94)‐ヤクルト(95~97)
年度 | 登板 | 勝 | 敗 | 防御率 | HP | S | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1988 | 29 | 4 | 3 | 2.29 | ーー | 11 | 1.30 |
勇者を救ったSFFルーキー
・選手紹介
ルーキーだった阪急最終年とオリックス初年度にクローザー格の投手として活躍。
フォーク系、特に当時流行だったSFFの使い手として高い評価を受けていた他、チームでも随一の速球派投手として鳴らした。
ただ怪我が多い選手でもあり活躍していたルーキー時代から満身創痍な状態で投げており90年以降は怪我で長きに渡り低迷。
トレードで移籍したヤクルトではサイド気味にしスライダーで活路を見出し8年振りの勝利を記録した事もあったが、往年の輝きは取り戻せず。引退後は古巣に戻り裏方としてチームを支えている。
・1988年
怪我で出遅れ1軍デビューは6月となったが、そこからクローザーとして大活躍。
小さいと思われたアニマルの穴を中々埋めれず"64試合連続開幕からセーブ0"という不名誉な記録を打ち立てたチームを救った。
なお、1軍での登板機会は全てリリーフだった山内だが2軍の初登板時は先発で完投も記録している。
パワナンバー 11900 50488 14825
査定について
・球速
wikiには150kmとの記載があるが、当時の文献を探すとそれについて全く見当たらなかった
プロに入って球速が上がったというが、球が走らない時は130km台の時もあったという。今回は間を取って(?)147kmにした
・球種
カウントを取る(SFF)のと空振りを取る(フォーク)2種類のフォークを持つ。というかフォーク系を武器にする投手って2~3種類のフォークはほぼ必ず持ってると言っていい
2年目以降はカーブも交えるように。これもフォーク系投手あるあるで、恐らくドロップ系だろう。実際高校時代は決め球だったというし
・対左B
対右.284(109‐31)6本
対左.209(67‐14)
フォーク系を武器にしてるとはいえここまで差が出るのも珍しい。ただ対戦数が圧倒的に多かった西武戦に左右された感もあり、
対右.462(39‐18)3本
対左.077(26‐2)
で高校時代からの宿敵であった清原には3打席連続本塁打を打たれている
・シュート回転
スタイルの割に高くない奪三振率を考えると恐らくこれ...
なんだけどちょっと情報が足りなすぎて見送った。ヤクルト時代なら必須ぽいが