今シーズンの横浜DeNAベイスターズは 筒香、ソト、宮崎、ロペスの4人が20本塁打に到達した。
これは1977年以来、実に41年振りの快挙である。 というわけで今回は41年前、まだ太洋ホエールズだった時の20発カルテットメンバーを作ってみた。
注 松原以外選手の能力は1977年時のではありません 。揃えたかったんですが如何せん 情報が……
松原誠
1977年成績.283 34本塁打 110打点
ミスターホエールズと呼ばれた男。太洋ホエールズの安打数、本塁打、打点の球団記録保持者。2000本打っているが当時は王さんがいたため主要タイトルの獲得はない… 守備力なら王さんより上と言われている。
この年がキャリアハイですね
1977年成績.302 35本塁打88打点
オバQと呼ばれた太洋の看板選手。松原と同様に主要タイトルこそ獲得していないものの、美しい放物線を描く本塁打はファンを魅了した。
常に一発狙いの反動で三振が多く、人間扇風機とまで呼ばれた。
現在は巨人のコーチとして活躍。すでにコーチとしての実績は充分である。
キャリアハイはこの年か1980年。唯一の3割がこの年である。
1977年成績.310 22本塁打87打点
ライオン丸というあだ名で親しまれた強肩強打の助っ人
喧嘩っぱやい性格で何かあるとすぐに顔を真っ赤にするからこのように呼ばれた。
しかし3割近くを安定して打つことができ本塁打も30本塁打超えを3度と非常に実力も高かった選手である。また守備も一流
この年のオフに金銭トレードで巨人に移籍。そこでも2年連続で3割を打つなど流石の実力を見せた。9年間で通算打率.297 本塁打218と球史に残る助っ人と言えるだろう。
キャリアハイは1975年かと思われる。(.295 34本塁打 82打点)
高木嘉一(由一)
1977年成績.323 20本塁打73打点
元地方公務員という異色の経歴の持ち主
とっつぁんと呼ばれ、渋さが光る打撃を見せ続けた選手。
川崎時代晩年から活躍。1980年代中頃までレギュラーとして活躍し、その後は代打の切り札として勝負強さを随所でみせつけた。
キャリアハイは翌年の1978年。(.326 23本塁打 80打点)
というわけで4選手の紹介をしました。昨年の横浜レジェンドマッチには松原、高木は参加。田代は恐らく他球団のコーチのため不参加。シピンは…高齢のためか不参加。
この4選手が揃っているところをみたいものである(ちなみに僕は巨人ファンです)
ちなみに選手の写真は1974年前半と1977年後半にのみ採用された湘南電車カラーのユニフォーム姿です。4人全員がこのユニフォームを着ている写真があってよかったです。復刻あくしろよ。