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工藤幹夫(日ハム)【パワナンバー・パワプロ2018】

工藤 幹夫(くどう みきお、1960年9月30日 - 2016年5月13日)

秋田県立本荘高等学校‐日ハム (1979~1986, 1988)

1982年成績 20勝4敗 防御率2.10

球団最後の20勝投手

入団当初はアンダースローだったが、サイドスローへとフォームを改造して頭角を現す。81年には開幕3試合目に先発として起用され好投。大きく期待されたが、なかなか結果を残せず2勝に終わる。しかし同年の日本シリーズでは5試合に登板。第1戦では9回に好リリーフ、サヨナラ勝ちを呼び込みシリーズ初勝利を記録。第3戦でも勝利投手となりシリーズ2勝を挙げた。
82年は先発として20勝4敗・防御率2.10の成績を収め、最多勝・最高勝率・ベストナインに輝く。この年の9月に右手小指を骨折し、プレーオフは絶望と見られていたが、驚異の回復を見せて第1戦に先発。この時は6回0/3を投げて無失点だったものの、打線の援護が無く勝ちはつかなかった。

しかし、第1戦から中2日の第3戦に再び先発すると1失点完投勝利(本人曰く感覚がなかったという)、このプレーオフ日ハム唯一の勝利をもたらした。監督だった大沢啓二によると、医師から「プレーオフには間に合う」と聞き、世間を驚かせようと考えて、ケガの具合は伏せたままひそかに練習をさせたという。しかしこのプレーオフで無理して投げたことで大きな後遺症が残った。

1983年に8勝を挙げたのが最後の勝ち星となる。1988年に野手に転向したが結果を残せず、28歳で現役を引退。。 
現役引退後は秋田へ戻り、秋田市手形山中町でスポーツ店(クドウスポーツ)を経営しながら、社会人野球チームの由利本荘ベースボールクラブの監督兼投手を務めていた。
2016年5月13日、肝不全のために死去。55歳没。

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[査定について] 

情報あまりないもんでかなり憶測で査定しましたが個人的には結構満足している出来に

 

1 球速 

とある記事には最速135㎞と書いてありましたが81年の日本シリーズでは139㎞を計測しているのを確認

連投時で139㎞ということなので最速はもう少し速いだろうと推測。よって142㎞に  

 

2 変化球 

シュートは無し。いや、有ってもいいのだが当時の方に聞くとスライダーとカーブのイメージが強いとのこと

カーブは変化の大きいのと小さいものの2種類という情報があったのでスライダーをスラーブとして扱えば(スラーブは現実のスライダーに近い曲がりをするため)よし。

後は速かったというシンカーをHシンカーに

防御率は2.10なので変化量は10で止める 

うん、完璧

 

3 リリース 

サイドハンドおよびナチュラルシュートとしてね

前述のシュートを無しにしたわけだし

 

4 重い球 

奪三振の少なさとに微妙な被本塁打率から 

まあグラウンドボールピッチャーだったのでしょう 

 

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