定岡 正二(さだおか しょうじ、1956年11月29日-)
鹿児島実業-巨人(75〜85)
1981年成績 11勝7敗 防御率3.70
元祖おバカタレント
甲子園準優勝の実績を引っ提げドラ1で巨人入り。
甘いマスクでファン人気には凄まじいものがあったが、同期の西本にすぐ追い抜かれるなど精神面からなのか全然成長出来ず長い2軍暮らしを送る。
だがスライダー(厳密にはカットボール)を覚えると80年に9勝。そして11勝、15勝と成績を伸ばし江川西本と3本柱を形成して活躍。成績的には2人に及ばなかったが顔面偏差値は定岡の圧勝だった。
83年途中に腰を痛めると以前のようなピッチングが出来なくなり成績は下降。85年は中継ぎとして主に登板したがオフに近鉄へのトレード宣告を受け、拒否して引退。28歳の若さでユニフォームを脱いだ。
その後の活躍は周知の通り。天然キャラを活かしてタレントとして活躍した。
「負け犬サダ」と呼ばれたり「大事な所で打たれる」「もう変えてくださいと監督に直訴する」といったヘタレ(?)エピソードも多いが1流の投手だったのは間違いない。
[査定について]
1 球速
データルームから参考にしたが、果たして146kmも出てたのか疑問だ。
130km半ば〜140km弱のイメージが強すぎる
2 球種
スライダーを覚えるまではストレートとカーブが主体の投手
81年からはフォークとシュートを投げ始め82年にはシュートをマスター。実は器用な投手なのだ。
今回は81年再現なのでフォークとシュートを選びました
3 対左
対右.250(408-102)16本
対左.265(275-73)8本
投手の(52-10)1本は除く
4 ノビE
プロでは通用しないと言われた直球
5 テンポ○ 内角攻め無し
調子が良い時は内角にバンバンスライダーを決め、江川並に早く試合が終わる事が多かった
だが調子が悪いと外角へのスライダー一辺倒のピッチングになり痛打を浴びる事が多かった
よって悩んだ結果採用せず
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