屋鋪 要(やしき かなめ、1959年6月11日 - )
三田学園‐大洋(78〜93)‐巨人(94〜95)
1994年成績.138 2打点
気迫のダイビング
長年大洋の看板選手として活躍していたが93年オフに球団が行った大量解雇の1人として屋鋪も自由契約に。「ゴミをゴミ箱に捨てるみたいに」と悔しがったエピソードは有名。
そんな屋鋪を誘ったのが巨人。屋鋪は87年から93年にかけて30回連続で盗塁を許した天敵で、長嶋を始めとした巨人側の評価が高かったのも頷ける。てか捕手陣えぇ・・・
結果的に言うと屋敷は2年間で10安打しか打てず引退。移籍後初めてハマスタで守備に就いた試合では天候の影響もあってサヨナラ落球。所謂バンザイエラー。
実は93年オフに膝の手術をしており、週に2度注射を打ちながら出場していた。その為満足いくプレーが出来なかったのだ。
だが94年の日本シリーズ第2戦では最終回一打同点のピンチを迎えた場面でダイビングキャッチを披露しチームを救った事もあった。このプレーはシリーズの流れを変えたとも言われるビッグプレーだった。
幼少期は阪神ファンで巨人は嫌いだったが、初めて優勝を経験出来た事もあり巨人に移籍して良かったと後年語っている。
[査定について]
・こんな感じでしょう。守備をDにして守備職人付けたのがミソ
・かく乱は敬意というか格ですかね。全盛期の活躍をさも当然の様に期待される、巨人の外様選手感も出したかった(伝われ)
・パワターも拘り眼鏡を付けました。ダイビングキャッチの時に付けてたので
・この頃の巨人は東京ドームで試合をする際、外野手に眼鏡を着用させる事が多く(ライトの影響で見失う事があった)、第2戦では松井も着用している
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