岡崎 郁(おかざき かおる、 1961年6月7日-)
大分商業-巨人(80〜96)
1989年成績.268 12本塁打 59打点
恐怖の6番打者
右に左に流すシュアな打撃と勝負強さを兼ね備え、時にはクリーンナップも担った閃くセンスを持つ内野手。
遊撃手のレギュラー候補として期待されながらも、長年便利屋枠に収まっていたが、第二次藤田政権になると原がいなくなった三塁のレギュラーを獲得。最も本人は最後まで遊撃手に拘っていたそうだが。
駒田との6.7番コンビを形成した89年にキャリアハイを記録したが、総じて派手な数字は残さず。それでも印象的な活躍を見せた。
大舞台でも強く89年はシリーズ優秀賞、90年は敢闘賞と活躍。だが90年、チームはオールブラックス。その際「私の野球観が変わった」と発言。以前から"野球は個人の力"と考えていた岡崎のこの発言は岡崎が選手会長だったと言う事もあり"巨人野球の敗北宣言"として話題を呼んだ。
[査定について]
ハモりと言えば岡崎なので付けてみた。正しいかは知らん #PS4share pic.twitter.com/poWc8fYd9F
— 10 (@giantsnishi) 2022年5月12日
世代的に仕方がないとはいえ、今のネット民による岡崎の大方のイメージは「大したことないのに使われていた」「応援歌が神」「ミアディッチを連れてきた人」etc...
これは非常に残念。そこで、今から私が読者のヤングメェンに89年岡崎の凄さを教えて差し上げよう!!
1989年岡崎郁の凄さ!
・無走者時の打率は.220とリーグワーストの数字に対して得点圏打率は.312!
・当時の巨人の天敵であった左投手を苦にしない!対右.271 対左.262!
・勝利打点は13!これはリーグ4位相当で38本塁打のフィルダーや34本塁打の池山より上!!
・サヨナラ打2度!勝ち越し打はなんと8度!
ごく平均的な打者の数字とはとても思えない!凄い!凄すぎる!!
Q.読者のこと「ヤングメェン」とか言ってたけどお前何歳なんだよ
A.に、20代です...
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