ヘンスリー・フィレモン・アカシオ・ミューレンス(Hensley Filemon Acasio Meulens、1967年6月23日 - )
1995年成績.246 29本塁打 80打点
キュラソーの大砲
NPBでは初となるオランダキュラソー島出身の選手。ロッテでもそれなりに活躍するがオナホールスアン四世に苛められていた事ぐらいしか知られていない。
ヤクルトに入団すると当初はセ・リーグの変化球攻めに苦しむ。パ・リーグと違ってセ・リーグは初球からバンバン外スラやフォークを投げ込んでくるため三振の山を量産し6月中盤までは打率1割台の極度の不振に陥り本塁打も伸び悩んだ。
しかしチームが独走していた余裕もあって辛抱強く起用されたのが功を奏したか、7月以降は本塁打を量産。チーム本塁打王のオマリーを猛追し最終的には29本塁打を記録した。
野村監督は「当たれば嬉しいバンバン宝くじ」と評し、メディアからは「恐怖の8番打者」と割とありきたりな呼称で呼ばれた。
96年も同様の成績を残すが退団。引退後はオランダ代表監督やMLBのコーチとして活躍している。
ちなみに自他共に認める最高のホームランが95年日本シリーズ第3戦で1点ビハインドの9回に放った同点ホームラン。何度もガッツポーズを行うなど嬉しさを爆発させていた。
[査定について]
新特能を使いまくったぜよ
・対左B
→右.228 対左.344
・対ストレート〇
→察して下さい
・マルチ弾→
→オマリーが2回でミューレンが3回...まぁいいかなと
・窮地
→2ストライク時の打率は案の定規定ワーストながら、本塁打9本はトップ。思えば平井から打った同点弾も2-3でしたね
このミート力だと.220ぐらいしか打てなそうですが、まぁいいんじゃないでしょうか(よくない)
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