小川 淳司(おがわ じゅんじ、1957年8月30日 - )
習志野高-中大-河合楽器-ヤクルト(82〜91)-日ハム(92)
優しすぎた未来の4番候補
ヤクルトの監督を2度務めた事から知名度はあるものの、タレント監督が揃うセ・リーグの中ではどうしても地味な印象は拭えなかった。しかし高校時代は習志野のエースとして甲子園優勝を果たしたスターとも言える存在だった。
高校で肩を痛め、大学からは野手に転向し河合楽器を経てヤクルトへ。チームトップクラスの長打力を評され、未来の4番候補と期待された。
しかし、3度の11本塁打を放つなど長打力は随所で垣間見せたものの、その素質が開花する事はなく86年以降は準レギュラーや守備固めの起用が増え92年に日ハムに移籍し、同年で引退となった。
"真面目で優しすぎる性格はプロ向きではなかった"との評価もチラホラと聞こえるが、逆にそれが指導者となって活きているのも事実であろう。
[査定について]
・84年と85年を合わせた査定になってます
・84年得点圏.277
・84年対右.241 対左.280、85年対右.237 対左.244 本塁打は両年共、右9本、左2本
・86年以降は対左用の準レギュラーとして起用されていましたが、少なくともこの頃は左右に大きな差はないですね
・慎重打法・・・見逃し三振が多くよく野次られたらしい。性格が影響してるかも?
・慎重打法と三振を入れたのでミートは限界まで上げました
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