デービッド・アレン・ジョンソン(David Allen " Davey" Johnson、1943年1月30日 - )
1976年成績.275 26本塁打 74打点
"虚人のジョン損"から"J砲"に
長嶋が引退し後釜を探していた巨人はそれまでの純血主義を撤廃し外国人の大砲を求め、球団初の大リーガーとして入団したのがデービー・ジョンソンである。
ジョンソンはゴールドグラブ3度の華麗な守備でオリオールズ黄金時代を支えた2塁手で、73年には当時の2塁手記録である43本塁打を放った事もある大物大リーガーでありファンは勿論、チームメイトからも期待されていた。
しかし本職が2塁のジョンソンは慣れない3塁守備で精一杯。2本のサヨナラ本塁打を放つ活躍もあったが、打率1割台本塁打10本弱では話にならず巨人最下位の戦犯に挙げられ、"虚人のジョンソン"とまで呼ばれてしまった。
2年目は高田が3塁にコンバートした影響で本職の2塁に戻ると、ダイナミックな守備を連発し打撃も安定するようになる。4月に受けた死球の影響で前半戦の本塁打は8本と伸び悩んだが、オールスター休みを利用して帰国し、治療を施すと約60試合で18本を放ちチームの優勝に貢献。"J砲"と評されるなど後半戦の活躍は素晴らしいものがありGG賞とB9にも選ばれた・・・のだが長嶋との確執もありこの年限りで退団。
長嶋とは意思疎通が取れ無い事もあってか常に対立。有名なのは長嶋がタオルを巻いていただけのジョンソンからいきなりタオルを剥ぎ取り股間を指して、カタコトな英語で「ユー・アー・ウーマン」と発した謎エピソードか。他にも色々あるがここでは割愛。
帰国して数年プレーした後は指導者に。メッツの監督としてワールドシリーズを制した他に米国代表監督などを歴任した。
[査定について]
1976年 デービー・ジョンソン
— トマソン (@giantsnishi) 2020年5月9日
非得点圏.267(270-72)20本
得点圏.295(95-28)6本
↑は(6-2)打席分を除く
以外確定
対右.283(297-84)21本
対左.243(74-18)5本
左25本 中1本
ソロ13本
2ラン8本
3ラン4本
満塁1本
ダメ押し本塁打13本
猛打賞4回
↑ダメ押し本塁打は12本でした
1 守備
日本人とは別次元とも評された守備
来日時には肩は壊れていたとも言われているが、やはり2塁守備は天下一品だったらしい。3塁守備はEにしたかったけど・・・
あれだけ確執のあった長嶋もジョンソンを守備の職人として評価していた
2 送球
捕ってからが滅茶苦茶早かったらしい
Aなのは贔屓査定ですけども。肩Eで送球Aってなんか美しいから(?)いいかなと思ったので
3 エラー
適時エラーが多分3かな?ちょっと多いね
4 その他
弾道はまぁ甘めに。特大本塁打多かったらしいので。本質的にはホームランバッターではないと思うんだけどね
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